名前で呼ばせるか苗字にするか迷った。
わたしのために
正直、コーヒーという飲み物は得意じゃなかった。
嫌いではなかったけれど、砂糖は絶対入れていたし、ミルクだってたっぷり。元の香りや味を引き立てるためではなく潰していたと思うぐらいに。
だけど、いつからだったっけ。
バイトが終わるといつも出してくれる一杯のコーヒー。
温かくてやわらかい湯気、吸い込まれそうな深い色と胸を満たす優しい香り。
バリスタを目指す彼がわたしのためだけにいれてくれるそれは、とても甘くて優しい味。
「おつかれ、」
「佐伯くん。おつかれさまです」
最後のお客さんが帰り、片付けも終わった後に行われる恒例の挨拶。ここ珊瑚礁だけでなく、仕事が終わればどこでも聞くことのできる全国共通のやり取りだが、密かに……と、いっても友達三人にはバレバレ……佐伯くんを想っているわたしにはこんな小さなやり取りも貴重なものだ。
「ん。……コーヒー、入ったぞ」
「ありがとう。うわぁ、今日もいい香り!」
「当然だろ? 誰が淹れたと思ってんだ」
鼻を高くして胸を張る佐伯くん。
かわいいなぁ、なんて考えながらコーヒーを受け取り両手で包んだカップの温かさに目を細める。
コーヒー独特の美しい色彩を放ちながらカップの中で揺れる。広がる香りに思わずため息が出た。いつの間にかブラックでも飲めるようになったそれを一口含み飲み込んで、またため息。
「ああ、美味しい」
「そうだろ? ちょっとブレンド変えてみたんだけど……」
どうだ? と、身を乗り出して感想を聞いてくる佐伯くんの目はキラキラと輝いて生き生きしてる。学校ではクールで優等生な佐伯くんだけど、これは私しか見ることのできないもう一人の佐伯くんだ。
それがすごく嬉しくてつい、頬が緩み佐伯くんを見つめてしまう。
「……?」
「あ、ごめん」
「おいおい、大丈夫か? まあ、今日はちょっとお客さんの入りも多かったし、疲れたか?」
「平気! ちょっとボーッとしちゃっただけ。それよりコーヒーだけど」
話をそらすように感想を言う。
正直素人中の素人のわたしが感想言ってそれを生かしちゃっていいのかとも思うんだけど…。佐伯くん的にはそれで十分らしいので、わたしの好みで色々言わせてもらっている。
いずれはこのコーヒーも珊瑚礁でお客さんに出されることになるのだろう。
それでも今のこの一杯はわたしのためだけ。わたしのものなのだ。
「ごちそうさま。カップ洗っていれとくねー」
「あ、それはダメだ」
「……? なんで?」
「それ、専用のカップだから」
ちょっと照れたように佐伯くんが言う。
言われてよく見てみると、お店のカップとよく似ているが、底にかわいい巻貝の絵があり、大きさも少し大きい。
一瞬意味を理解し損ねて、カップと佐伯くんを交互に2度3度見てしまった。
「、最近結構頑張ってるからさ。ちょっとしたご褒美というか」
「……いいの?」
わたしが心底不思議そうにいったのだろう、佐伯くんはちょっとムッとした顔になった。
「なんだよ。いらないならいいんだぞ」
「いいえ! とんでもない!! 嬉しいです!!」
しっかりとカップを確保して頷くと、佐伯くんは満足そうに笑ってわたしに一発チョップをお見舞いしてくれた。
「家まで送ってってやる。着替えてここにいろ」
「……うん!」
こうしてわたしは今日も一杯のコーヒーに落ちていく。
わたしのためだけの、特別な…………
コーヒー大好き。
でも飲みすぎると肌が黒くなっていくらしいので気をつけましょう(ぇ
ああ、誰か美味しいコーヒーいれてくれぇ