Clossing of Destinies 外伝 2
〜幻影は蒼海に揺れて(前編)〜
――もう、二度と、独りになんかしないから――
「み……ず……」
ふらつく足取りで街路を歩きながら、少年は呟いた。
「水……を……」
年の頃は十五、六。肩まである、艶やかな青色の髪と、整った顔立ち、ほっそりとした体付きは、どことなく少女のような雰囲気を漂わせていた。
「水を……ください……」
少年は、全身に脂汗をかき、激しく息切れしながら歩いていた。藍緑色の瞳が、宙を彷徨う。
陽射しはすっかり秋の気配を見せているというのに、彼はまるで、炎天下の砂漠を歩いたようであった。
「誰か……っ」
少年は、激しく咳き込んだ。朦朧とした意識の中で、彼は後悔する。
――約束、したのに。
左腕に刻まれた傷が疼き、少年はうめいた。
目の前にいる誰かの姿が歪み、つい先程まで共に旅をしていた、仲間の姿になる。
「水を……」
もう、誰でも良かった。身体の欲求するままに、目の前の人物にすがりつき、手を伸ばした。
相手の反応はわからなかった。
少年は、意識を失った。
彼の身体に異変が起こったのは、数日前であった。
エアリアルマウンテンに棲みついた、猛獣の退治という仕事を終え、少年とその仲間は、山を下りていた。
少年は、突然身体の不調を感じた。しばらくは我慢していたものの、目眩のせいでまともに歩けなくなり、ついに少年は、前を歩く仲間を引き止めた。
「セリア……さん……」
セリアと呼ばれた人物は、少し怪訝そうな顔で振り返った。
セリアは、一見すると、男と見紛う姿をしていた。
背は、ごく標準的な男と同じくらい。長い琥珀色の髪は、うなじの後ろ辺りで簡単に束ねられただけで、同世代――つまり、十八、九――の女ほど、こだわっている様子はない。翠玉にも似た翠色の瞳は、鋭く細められ、睨むような表情をしている事が常である。
しかしのも瞳も、少年の姿を見止めた途端見開かれ、次いで慌てた表情を見せる。
「どうした、レイシー!! 大丈夫か!?」
セリアは、少年――レイシーの元へ、慌てて駆け寄った。
座り込んだレイシーは、額に脂汗を浮かべ、青ざめた顔で、荒い息を吐いていた。
「……水……」
レイシーは、辛うじて、身体の欲求する物を伝える事が出来た。
「水が欲しいのか!?」
セリアの問いに、レイシーは小さく頷いた。待ってろ、という声がして、すぐに水筒が、口元に宛がわれた。レイシーは、半ば流し込むように、その水を飲む。気分が落ち着いた頃には、水筒はほとんど、空っぽになっていた。
「……もう、平気か?」
優しく問うセリアに、レイシーは頷く。
「うん。……ごめん」
「いいんだ」
セリアは微笑んだ。彼女は表情に乏しいが、初めて出会った頃と比べると、随分それが表れている。
しかしレイシーは、彼女とは対照的に、眼を伏せて、済まなそうにしていた。
「水……ぼくのせいで……」
「水くらい、また汲みに行けばいい。それより、お前の身体の方が大事だ」
レイシーは、うん、と頷いたものの、やはりすまなそうな顔をしていた。
実は、今回に限らないのである。
もう、一年ほど二人で旅してきたが、セリアは妙に、レイシーを気遣っていた。確かに、仲間が助け合う事は大切だが、レイシーは、一方的に助けられていて――つまり、足手纏いとしか思えないのである。
セリアは、水を汲みに行くから休んでろ、と言った。この道は、川からは大分離れており、そう簡単には往復出来ないはずである。しかしセリアは、気に留める様子もなく行ってしまう。戻ってきたら戻ってきたで、自分の飲み水まで、レイシーに差し出すに違いない。
レイシーは、小さく溜め息をついた。彼女の優しさは嬉しかったが、それ以上に、自分が情けなく感じた。
その時も、レイシーは、木陰に座っていた。セリアは、水を汲みに行くと言って、そこを離れている。
もう大分、シルフィニ―ルの町も近付いていた。一気に進めば耐えられない距離ではないのだが、セリアは駄目だと言って聞かない。
――優しさなんだ。
何度もその言葉を胸の内で繰り返し、レイシーは自分を納得させようとする。でも。
何かが違う。まさか……
「セリアさんは、ぼくを、男だと思ってない……?」
レイシーは、はっとした。それが、苛立ちの理由ではないか。
強くなりたいのに、認めてくれない。守りたいのに、守られてしまう。
――それが、この外見のせいだとしたら。
レイシーは、胸の中に、言いようのない悔しさが込み上げるのを感じた。
その時であった。
「おい、見つけたぞ!」
男の声であった。セリアでは、ない。
レイシーは、左腕を持ち上げた。淡い光が、彼の腕を包む。
その手でレイシーは、呪印を描こうとした。しかし。
それよりも早く、飛んできた何かが、レイシーの腕を抉った。血飛沫が散る。
「……くっ……」
腕を抑えてよろめいたレイシーの髪を、何者かが掴む。
目の前にいたのは、人相の悪い、まともな職には就いてなさそうな男であった。
「妙なマネすんじゃねえぞ。次は腕じゃ済まねえからな」
男は、凄みを利かせて言い、レイシーの背後に視線を移した。
「おい、こいつでいいんだな、ガノット?」
「ああ、その青い髪……間違いない」
男の視線の先から、もう一人の男が現れる。ガノットと呼ばれた男は、レイシーを掴んでいる男とは対照的に、学者のような、整った身形をしていた。
「よくやった、ウィデル」
学者風の男は、人相の悪い男に言った。
「……離せっ……!」
これではまた、セリアさんに迷惑をかけてしまう。
守りたい、相手なのに。
「やなこった。今や、世界で一匹の珍獣だからな」
「全く、惜しい事をしたものだ。このような素晴らしい生物を、滅ぼしてしまうとは」
男たちは、まるでレイシーが、人間ではなく――そう、魔物か何かのように話していた。
「ぼくは人間だ……!」
レイシーは頭を振り、身を捩って、精一杯の抵抗をした。しかし、男の手から、抜け出す事は出来なかった。
「何を言ってるんだ」
嘲笑するような声を含んで、ウィデルが言う。
「青い髪の人間など、いるはずがないだろう」
レイシーは、動きを止めた。
「嘘だ……」
確かに、レインフォールの村以外で、自分と同じ色の髪をした人間は、見掛けなかった。
「だったら、ぼくは何なんだ……?」
「……人魚ですよ」
ガノットは答えた。
「青色の髪を持ち、不老長寿……。男も女も皆美しく、人間たちを惑わせたとか。そして……」
ガノットは、痩せた指で、レイシーの腕の傷口をなぞる。
「人魚の血は、万病の薬となるのですよ」
レイシーは、びくっと身体を震わせた。
「そういうわけだ。お前を売れば……」
「その手を離せ!!」
聞き慣れた声が響いた。
「誰だ……ぐあっ!!」
ウィデルが悲鳴を上げ、レイシーを掴んでいた手を放した。その手には、短剣が突き刺さっていた。
茂みの向こうから現れた人物の名を、レイシーは呼ぶ。
「セリアさん!」
「大丈夫か?」
セリアは、レイシーをかばうような位置にたち、男たちを睨みつけた。
「レイシーを傷つけたのはお前らか?」
ウィデルが、ちっと舌打ちする。
「お前がこいつの飼い主か」
セリアは、瞳を一層細め、目尻をつり上げた。
「飼い主じゃねえ! 仲間だ!!」
セリアは、腰の短剣を引き抜く。
「仲間? ……はん、お前、こいつを人間だと思ってるのか」
「当たり前だろうが!!」
セリアは短剣を構えた。
「それ以上何か言ってみろ……二度と口が利けないようにしてやる」
ウィデルは嘲笑し、ガノットは溜め息をついた。
「やれやれ……。仲間のくせに、何にも知らないのですね」
「黙れ!!」
セリアは短剣を投げつけた。しかし、予告されていた攻撃は、あっさりかわされてしまう。
セリアは、レイシーの方に顔を向けた。
「あいつらの言う事なんか、気にするなよ」
しかしなぜか、レイシーは俯き、視線を落とした。
「……彼は人魚ですよ」
ガノットは言う。
「普通の人間が、青い髪を持つはずないでしょう? ……そして、彼の血は、誰もが求めて止まない万病の薬です」
「いい加減にしろ!!」
セリアは短剣を投げた。しかしなぜか、ガノットは避けようとせず、肩に攻撃を受けた。表情を変えずに、その短剣を引き抜く。
「信じられないのなら見せてやろう……人魚の血の効果を」
ガノットは、痩せた指先についた紅いものを、舌で舐める。
ガノットの傷は、目に見える早さで塞がっていった。
セリアの息を飲む音を、レイシーは聞いた。
「オレたちは諦めないぜ。覚悟しておくんだな」
二人組は、そう言い残すと、どこかへ去っていった。
一先ず、戦いは終わったようだ。
「……レイシー」
セリアは振り返った。
「大丈夫だったか?」
セリアは、左腕の傷を、優しく――彼女としては、であるが――治療する。
「……気にするなよ、あいつらの言った事なんか」
セリアはそう言って、レイシーの顔を見た。
レイシーは、うんと言わなかった。その顔は、目で泣いて、口元で笑っている――かなり奇妙な表情だった。
「そうか……ぼくは人魚だったんだ」
レイシーは呟いた。セリアは眉をひそめる。
「何言ってんだ?」
「人魚だから喉が渇くんだ。人魚だから女みたいなんだ。人魚だから――」
目は悲しみを、口元は笑みを深くする。
「だから、セリアさんに守られてばかりだったんだ」
「……気にするなって言っただろ?」
セリアは、レイシーの両肩を掴み、彼の顔を、正面から覗き込んだ。その口調には、少しばかり、苛立ちが含まれていた。レイシーは、セリアの顔を見る事が出来ず、視線を逸らす。
「気にしないわけないだろ? なんでセリアさんの方が屈んでるんだよ? どうしてぼくの方が、男に声をかけられるんだ? ぼくは男で、セリアさんは女なのに、いつだって……うわっ!」
レイシーは尻餅をついた。一瞬してから、セリアに、肩を突き放されたのだと気付く。
「……そうか」
セリアの周りの空気が静まり、音一つなくなったように、レイシーは感じた。こういう時の彼女は、本気で怒っているのだと、彼は知っている。
「お前も、男だとか女だとか、そういう詰まらない視点で、人間を見てたんだな」
感情の読み取れない、ただ限りなく冷ややかな視線。レイシーは受け止めきれず、顔を伏せた。
「もう、お前の傍にはいたくない。どこへでも、勝手に行くんだな」
頭の上から振ってくる声に、レイシーはびくっと震えた。ごめんなさい、と謝りたいのに、顔が上げられない。彼女が今、どんな表情で自分を見詰めているのか、それを知るのが怖かった。
数秒の間の後、セリアの去っていく足音が聞こえた。
引き止めなければ、と思った。このままでは、彼女はまた、独りになってしまう。
――でも。
「どうせ、ぼくがいたって、足手纏いなだけなんだ……」
セリアには聞こえない声で、レイシーは呟いた。
「ぼくなんか、傍にいない方がいいんだ……」
きっと二人は、孤独さに刻まれた傷を癒すために、一緒にいただけなのだ。
でもセリアは、もう独りではない。兄が見つかったのだから。
「もう、用済み……か」
レイシーは、泣き顔と自嘲の笑みを同時に浮かべ、街があるはずの方向へ歩き出した。喉の奥は渇ききり、呼吸の度に痛みを感じた。
目の前で、蒼色が揺らいでいる。
『戻っておいで……』
声が聞こえる。
『お前の居場所は、地上にはないの……』
違う、と否定したかった。でも。
『お前は、そこでは生きられないのよ……。なぜなら……』
なぜなら。そう、理由はわかっている。
『お前は、人魚だから……』
レイシーは、何か、柔らかい物の上に寝かされていた。もう、喉の渇きは感じない。
レイシーは、瞳を開いた。琥珀色の髪と、翠色の瞳が目に映り、レイシーは安堵する。
「よう、気が付いたか?」
しかし、彼女――いや彼は、かなり低い声でそう言った。肩幅が広く、がっしりとした身体つき。レイシーは、そのような人物を、一人しか知らなかった。
「シリウス……さん?」
「ああ、覚えててくれたのか」
相手はあっさり肯定した。やはり少しだけ、落胆してしまう。
「お前、大丈夫か? 死にそうになってたから、慌てて運んで、言われた通りに水飲ましたんだけど」
「はい、大丈夫です……」
レイシーは、こくりと頷いた。
「セリアはどうした? 一緒じゃないのか?」
一番訊かれたくない事を、真っ先に訊かれてしまった。
「……喧嘩、したんです……」
レイシーは俯き、溜め息をついた。
「あっ、訊いちゃ悪かった? すまんすまん」
シリウスは明るく笑い、それから表情を改めた。
「でも、妹の事は、放っておけないんでね。何か、出来る事はあるか?」
「……」
レイシーは、しばらく無言で俯いていたが、やがて決心したように顔を上げる。
「人魚が人間になる方法、知りませんか?」
「人魚が? 人間に?」
レイシーは、てっきり笑われると思っていた。しかし、シリウスは、真剣な表情をしている。
「そうか、やっぱりお前、人魚なのか……」
「……知ってるんですか? 人魚の事……」
「ああ。……というより、俺たちはお前の仲間だ」
シリウスは、頷きながら、よく意味のわからない事を言った。レイシーは、首を傾げる。
「亜人、ってやつだ。魔物に近い所がある」
「魔物に……?」
レイシーは、怪訝そうな顔をする。
「そう。……本物の亜人がいたのは、まだ塔だの守護神だのが出来る前の話だな」
シリウスは説明する。
「いわゆる、混沌の時代だ。その頃の動物ってのは、結構簡単に力の影響を受けて、姿が変わっちまったんだ。その、姿が変わった人間の子孫が、俺たちって訳だな」
シリウスは、一人で納得したように頷く。
「塔が出来て、秩序が生まれた時に、亜人の姿自体は、人間に近くなった。でも、その特徴だけは、子孫に受け継がれていったんだ」
特徴。そういえば、レインフォールの男は皆、レイシーのように、端整な顔立ちをしていた。その上、中々年をとらない。
「しかも最近、その特徴が強く表れるんだよな。俺も、独りが好きどころじゃなくて、独りじゃないと落ち着かないようになった」
「じゃあ、セリアさんも……!?」
レイシーは、ベッドから起き上がった。しかしシリウスは、首を振る。
「喧嘩したんだったら、それが原因だよ。そこんとこは、認めといた方がいい」
シリウスに諭され、レイシーはうなだれる。目元は悲しそうなのに、口元は笑みすら浮かべているように見え、奇妙な顔だとシリウスは思った。
「そうですか……」
レイシーは、落胆の溜め息をつく。
しかし、だったらなおさら。
「元に戻る方法は、ないんですか……?」
「ない訳じゃ、ない」
シリウスは、静かに言った。レイシーは、意気込む。
「教えてください!!」
「……落ち着け、喉が渇くぞ」
シリウスは、静かになだめた。レイシーは、軽く深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
「……亜人たちが、独自に神を祭った神殿があるんだ。そこで願いが認められれば、人間に戻れるらしい」
「……どこかにあるんですか? その神殿……」
「ああ。見つけた」
シリウスは頷いた。
「ピュアウォーター諸島の島の一つに、入口があったんだ」
「本当……ですか?」
レイシーは、静かにシリウスを見詰めて、訊ねた。シリウスは、怪訝そうな顔をする。
「嘘ついてどうすんだよ」
「連れてってください!!」
「いいけど……」
シリウスは、少し困った顔をした。
「お前、身体は大丈夫か? お前に何かあったら、俺がセリアに怒られる」
「大丈夫です。水さえあれば」
レイシーは、頷いた。
「そうか。じゃあ、冒険者シリウス、妹の恋のために、一肌脱ぎますか」
シリウスは、ぱっと立ち上がった。
「そうと決まれば、早速出発するぞ」
「はい!」
――やれやれ。
シリウスは、レイシーに気付かれないように、溜め息をついた。
海底神殿の入口は、ピュアウォーター諸島の一角、無人の島にあった。そこはただの洞窟だと思われていたが、崩れた跡を掘り返した所、かなり奥へと続く道があったという。
「まあ、一通り探りはしたが、大した物は見つからなかった。おそらく、『神殿』としての機能以外は、備えていないんだろうな」
「……それなら」
一瞬間を置いて、レイシーは決心したように、言葉を発した。
「シリウスさんは、セリアさんの所に行ってあげてくれませんか?」
「……セリアの所に?」
シリウスは、訊き返した。
「何でだよ? 何かあったら困るだろ」
レイシーは、静かに首を振った。
「これくらいは、ぼく独りで、やりとげなきゃいけないんです。そうしないと、いつまで経っても、セリアさんに迷惑をかけてしまうし。……それに」
レイシーは、ふっと、寂しそうな表情を浮かべた。しかしその口元は、やはり微笑んでいるように見える。
「セリアさんに、寂しい思いをさせたくないんです。もう独りにしないって、約束したから。……でも、ぼくが傍にいたって、セリアさんは、傷付くだけだから。だから、シリウスさんが、傍にいてあげてください」
「お前……いいのか?」
シリウスは訊ねた。レイシーは、首を傾げる。
「セリアの傍にいるのが、自分じゃなくてもいいのか?」
レイシーは、頷いた。
「ぼくじゃだめなんです、きっと……。傍にいたくないって言われたから」
レイシーの目元の悲しみが、深くなったように感じた。
シリウスは、何かを言おうとした。しかし、それ以上の事は、口にしない事にした。
おそらく、そういう事は、セリアの口から聞いた方がいいだろう。
「……ちゃんと、あいつの所に戻れよ。俺、下手すると、あいつに殺されちまう」
おどけた調子で話すシリウスに、軽い笑みで答え、レイシーは洞窟の方を向いた。
「ぼくは……セリアさんを守れるような、男になるんだ」
口に出して呟き、洞窟に一歩踏み込む。
数歩歩いて振り返ると、もうそこに、シリウスの姿はなかった。
『兄貴……どこだ? 返事くらいしろ、兄貴! 兄……やだ、独りぼっちにしないでよぉ!!』
セリアは瞳を開いた。セリアの家の、見慣れた天井が瞳に映る。
嫌な夢だった。
「……あいつのせいだ……」
『女のくせに――』
『女らしく――』
幼い頃から、何度も言われた言葉であった。
――そして、セリアの、一番嫌いな言葉。
あいつだけは、そんな事を、言わないと思っていた。あいつも、俺と同じように、苦しんだはずだから。
それなのに。
『女なのに――』
「……んだよ……。ふざけんなよ……っ」
セリアは、自分の頭の下にあった、枕を殴りつける。軽い手応えがあっただけであった。
「……レイシー」
あいつの、泣き顔よりもっと悲しそうな、奇妙な表情が頭から離れない。
あいつは、反省しただろうか。それとも、もうとっくに愛想を尽かせて……。
その時、誰かの、扉を叩く音が聞こえた。
セリアはベッドから飛び起きた。責める気持ちはすっかり消え失せ、安堵が胸の中を満たす。
何の疑いもなく、セリアは扉を開いた。
「レイ……」
「よお、元気にしてたか、セリア」
琥珀色の髪と、翠色の瞳。
「……兄貴」
途端に不機嫌な顔になり、セリアは呟いた。
「何しに来たんだよ?」
「おいおい、久々の再会で、その態度かよ」
心底呆れた顔で、シリウスは言った。
「お前、兄貴に対する愛ってものはないのか?」
「お前に言われたくないな」
セリアは、ふいっとシリウスに背を向けた。
「用がないなら帰ってくれ。俺は今、のんびり話せるような気分じゃないんだよ」
「……レイシーがいなくなったからか?」
「……なっ……」
セリアの表情が固まる。
「なんでお前が知ってんだよ……!」
「さっきまで、一緒にいたからな」
「お前……あいつと会ったのか……?」
セリアが、眉を僅かに動かした。
「……俺が見つけた時、あいつ、脱水症状で死にかけてたぜ」
シリウスの言葉に、セリアの中の何かが、一瞬揺らいだ。しかし、すぐにセリアは、平静を取り戻す。
「……あんな奴、どうなろうと、俺には関係ない」
セリアは瞳を伏せた。
「あいつが悪いんだ。男だとか、女だとか言うから……」
彼女らしくない、弱々しい声で、セリアは言う。
「……ああ、なるほど」
シリウスは、何かを納得したようだった。
「お前は、女だからって、守られてばっかりなのが嫌なんだな?」
「そうだ……」
セリアは、そっと瞳を閉じた。何かを思い出すように。
「自分が怪我してたって、あいつ、俺の心配ばっかりするんだ。そういうの、嫌なんだよ……」
「……お前が嫌なら、あいつも嫌なんだよ」
シリウスの言葉に、セリアは瞳を見開く。
「どういう意味だ?」
「……同じ事なんだよ」
シリウスは、溜め息をつく。
「あいつはいつも、お前にかばわれて、お前にばかり戦わせていると思ってるんだ。しかもそれは、自分の外見のせいだと思ってる。……自分が人魚の血を引いてるって知ってから、人間になりたい、と思い始めたみたいだ」
「そんな……」
だからあんなに気にしていたのか。自分が人魚だと言う事を。
「じゃあ、あいつは、どうしたんだ……?」
「水の神殿に行った。……独りで、な。あんな身体で、変な奴らにも狙われてるのに」
「知ってるなら、何で独りにするんだよ!!」
シリウスは、セリアの瞳を見た。
――何だかんだ言っても、やっぱり心配してるんだな。
「……お前を、独りにしないで欲しいって言われた」
セリアの喉の奥で、小さく、疑問と驚きを表す音が出た。
「お前には、寂しい思いをさせたくない、――でも、自分が傍にいて、お前を傷付けるのは嫌だから、って」
セリアは、自分の胸の中から、怒りが消え去るのを感じた。そして、後悔と、レイシーへの想いが、胸を満たす。
セリアは、奥歯を強く噛み締め、俯いた。握り締めた拳が震える。
「あのバカ……っ」
シリウスは、そっとセリアの頭に、掌を乗せる。
「……あいつは、お前の事、怒ってないよ」
セリアは、黙って頷く。
「あいつは、水の神殿にいる。……行くか行かないかは、お前が決めるんだな」
「……行くに決まってんだろ」
「……そうか」
シリウスは、笑みを浮かべた。
「ま、頑張ってこいよ。……俺はずっと、見守ってるから」
うん、と、セリアは小さく頷いた。
セリアは立ち上がり、素早く準備をして、家を出て行った。
――まったく、世話が焼ける。
シリウスは、胸の内で呟いた。
〜後書き〜
えー、外伝第二弾は、レイシー&セリア(&シリウス)の話です。本編では、主人公カップルを差し置いてラブラブなお二人でしたが、今回は喧嘩していただきました。
基本的には似たもの同士な二人ですが、気持ちの中では、微妙な違いがあって……というお話。まあ、結局は、ラブラブ故に、ですがね(笑)
では、二人の恋の結末は、後編をお楽しみに〜。
BACK NEXT 貰い物TOP