Eternal Shine


Eternal Shine



「・・・・・・やはり、ヒドイな」
メディスがぽつりと呟いた。
ランテムは全員が思っていた通り・・・・・・思っていた以上に酷い状況だった。
建物は元の形が分らないほど崩れ、人々は血を流し、悲痛な表情を浮かべたまま倒れている。
もうそのほとんどに息がない。いや、今まで確認した者全てが息をしていなかった。
「誰か・・・・・・誰かいませんか!?」
エステルが懸命に呼びかける。
生き残りがいれば、と。
どんな小さな声も聞き逃さないように、助けを求める声があれば絶対に逃さないように。
だが、この状況を目の当たりにしてしまっては・・・・・・。
「……やっぱりぼく、あいつらを許せない」
 ルミーが呟く。
「復讐のためだからって……こんな事……!」
 ルミーの言葉に胸が痛んだのか、アルディアの表情が曇った。
(わたしは……これと同じ事をしようとしていたのか……?)
 大切な人の命を奪われた憎しみと、復讐のために無差別な攻撃をする者への怒り と。割り切れない感情が、アルディアの胸の中に渦巻く。
 その時、エステルの声が響いた。
「大丈夫ですか!? しっかり、しっかりしてください!!」
 ルミーとアルディアは、声の方に振り向いた。
「まさか、生き残りが……?」
「行ってみよう!」
 エステルは、瓦礫の下敷きになっている老人に話し掛けていた。
「安心してください! すぐに助けますから!!」
 しかしその老人は、言葉にまったく反応しない。焦点の合わない目で、エステルを 見詰めている。
 突然、老人は口を開いた。
「女神様……? ついに、わしの所にも、女神様が現れたのか……?」
「な、何を言ってるんですか!?」
 エステルは途惑って声を上げる。しかし老人は、一点を見詰めたままで言葉を続け た。
「女神様……。早く、あの汚れた者たちを……この世界から消してくだされ……」
 老人は、そのまま息を引き取った。
その様子をみたルミー、アルディア、メディスそしてエステルは、しばらく誰一人としてその場から動か ず、老人をそれぞれ複雑な面持ちで見つめていた。
―――――ポタ、と老人の手に一滴の水が落ちた。
「・・・・・・エステル?」
そっとルミーがエステルの肩に手を置くと、エステルは勢いよく振り返ってその胸に顔を埋めた。
「・・・・・・ルミー、わたし・・・。わからなくなってしまった・・・」
このランテムの人たちに罪はなくて、でもあの亜種たちの恨みも当然だと思う。
悪いのは人間だけど、ランテムの人たちすべてが悪いわけじゃない。なのに亜種はランテムのすべてを 破壊してしまった。
それでも、亜種をただの汚れた者として扱ったり、この世界から消してしまったりするのは絶対に間違 っていると、そう思う。
「これは無意味よ。単なる殺戮だわ。ミュートラスも、亜種たちも互いに同じことを繰り返しているだけ」
「・・・エステル・・・」
 涙を流し続けるエステルの肩を、少し不器用な手付きで撫でながら、ルミーは掛ける言葉を探した。
「……どちらが正しいとか、間違ってるとか、ぼくにはそんな事はわからないけど」
 ルミーは瞳を閉じ、そして何かを決意して、もう一度開く。
「エステルが信じているもの……優しさや、正義や、争いを悲しむ気持ちをなくさな ければ、それでいいと思うよ。
 今は答えがわからなくても、心の道標に従っていれば、いつかは何かが見えてくると思う」
「……ルミー」
 エステルは顔を上げ、ルミーの瞳を見詰めた。紅色の温かな光が、心の痛みを和らげてくれる。
「ぼくもまだ、自分が何をすればいいかわからない。だから今は、エステルの支えになりたいんだ」
 そう言って、ルミーは優しく微笑んだ。
「……ありがとう、ルミー。本当に……」
 エステルはルミーから身体を離すと、そっと涙を拭った。
「ううん。いいんだ、エステルが元気になってくれれば」
「・・・もう、大丈夫だから」
「・・・・・・・・・・・・ちょっといいかな、二人とも?」
気の強そうな女性の声に二人が振り返ると、アルディアとメディスが困ったように立っていた。
「どうしたの? もしかしてなにかあった?」
「いや、そういうわけではないんだが・・・・・・」
メディスの言葉に首を傾げるエステルとルミー。
さらにそれをみて顔を見合わせて溜息をつくメディスとアルディア。
(ラブラブの自覚0・・・)
(そうだな・・・)
コホン、とメディスは咳払いをしてから真面目な顔をしていった。
「一通り街全部を見てきたが、生き残りはいなかった。もしかしたら外に逃げた人がいるかもしれないが そこまではなんとも・・・」
「……わたしたちに出来ることは、なさそうね」
 エステルは沈んだ声を出したが、涙はもう流さなかった。
「これから、どうする?」
 ルミーが仲間の顔を見回す。
 しばらく沈黙が続いた後、口を開いたのはアルディアだった。
「……ヴィルセンの村へ、行きたい」
 その言葉に、メディスが反応した。
「……そこは……!」
 続けて何かを言おうとしたメディスを、アルディアは手振りで遮る。
「わたしが、あの村の人々に受け入れてもらえるかはわからない。でも……あの場所 にいけば、何かに決着をつけられるような……そんな気がする」
 アルディアは、静かなエメラルド色の輝きに満ちた瞳を、メディスに向けた。
「……あなたは来なくても構いません、メディス」
「……いや」
 メディスは首を振る。
「俺にも、償うべき罪がある。……せめて、自分たちが残した傷跡だけでも、確かめておきたい」
 メディスの言葉に、アルディアはゆっくりと頷いた。
「ヴィルセンは、ここから南……峠をひとつ越えた場所にある。1日あれば着くはずだ」
 淡々とした説明。その言葉の響きを聞きながら、アルディアは思いを馳せる。
 自らが多くのものを喪った、その村へ。
ヴィルセンまでの道のり、二人はずっとなにかを考えている様子だった。
ほとんど無言で、ときおり明後日のほうを見たり、溜息をついたりと。
しかしヴィルセンが間近になった時には、もうすでに吹っ切れているようにみえた。
「メディス、本当にくるのか? ここで待っていても・・・・・・」
「いや。行くといっただろう。俺にもつけるべきけじめがある」


 ヴィルセンは、森の中に隠れるような位置にある、のどかな雰囲気の村だった。確 かに、別荘を造るには最適かもしれない。
「……変わっていない。あの日から……」
 アルディアは、まばらに立ち並ぶ家並みを見て、呟いた。
(だけど……私が残した傷跡が、消える事はない)
 喪われた命は帰ってこない。わかってはいるけれど、目の当たりにするのが辛い。
 いつも迎えてくれたあの笑顔は、もう存在しない。
「アルディア……」
 心配そうに顔をのぞきこんだルミーに、アルディアは表情を緩めて頷いて見せた。
「大丈夫だ。……行こう」
 歩き出すアルディアと、それに寄り添うルミー。
 二人から、少し離れた場所にいたエステルは、そっとメディスを振り返った。
「メディスさん……」
「……これを、預かっていてくれ」
 そう言ってメディスが差し出したのは、いつも肌身離さず持っていたはずの剣だった。
「武器を持ったままでは、俺にここの土を踏む事は出来ない」
「……でも……」
 予想以上に重量のある剣を受け取りながら、エステルは困惑していた。
「いつ敵襲があるかもわからないのに、剣を手放すのは危険です……」
「……いや」
 メディスは静かに首を振った。
「これは、もう誰も傷つけないという、俺の誓いだ。
 ……心配はいらない。多少は武術の心得もある」
 メディスはそれだけ言うと、それっきり沈黙したまま歩き始める。
 視線は真っ直ぐに村を見詰めたまま、振り返る事もなかった。
「・・・・・・」
エステルはその重たい剣を1回だけ見つめてからしっかりと持って、三人の後をおった。
その背中を複雑な思いで見ながら、静かについていく。
「アルディア、ここは?」
建物の前に立って動かなくなったアルディアに、ルミーが聞く。
アルディアはじっと視線を動かさずに静かに口を開いた。
「・・・・・・ここは、ヴィルセンでわたしのもっとも好きな場所だ」
ふ、とアルディアの口元が緩んだ。
「ヴィルセンには……わたしの大切な……友達が、いた」
 建物を見詰めたままで、アルディアは語る。
「わたしと彼は、よくこの屋根に登って遊んでいたんだ。……昼間は雲の動きを眺め ながら、夜は星の数を数えながら、いろんな話をした」
 アルディアは突然視線を動かし、駆け出した。
「あ、アルディア!?」
 ルミーも慌てて追いかける。
 アルディアは、家の側にある木の幹に足を掛け、身軽に登っていった。屋根まで辿 り着くと、もたついているルミーに手を貸して、引っ張り上げる。
「……綺麗、だろう?」  そこからは、緑の繁る豊かな森と、澄んだ空が見渡せた。吹き抜ける風も、都会の 人込みのような生温さがなく、涼しくて心地良い。
「……うん」
 ルミーは小さく頷きながら、そっとアルディアの横顔を窺った。
 アルディアは、すっと視線をルミーに移した。
 そして何かを言おうとしたが、それは言葉にならなかった。
「……ごめん、ルミー」
 アルディアは、両手で顔を覆う。
「もう少ししたら……全部、話すから」
「……アルディア……」
 ルミーはそっと、アルディアに手を伸ばす。
「……辛かったんだね、ずっと」
 そして、いつもよりも小さく見える、その背中を優しく撫でた。


「・・・・・メディスさん」
無言で歩くメディスにエステルが声をかける。
メディスは視線だけエステルのほうへ向けて苦笑いのような表情を見せた。
「別に、ついてこなくても構わないが?」
「あのっその・・・。でも」
メディスの剣は自分が持っている。メディスの強さを疑うわけではないが、もしものことがあったらと思ってしまう。
自分がいれば最悪の事態にはならないかもしれない。
「心配してくれるのはありがたいが、君も自由にまわるといい。俺のことは気にするな」
 メディスはそれだけ言い残すと、もう振り返る事もなく、どこかへ歩み去ってしまった。
「……メディスさん……」
 エステルは、ずしりと重い剣を抱えて、その場に立ち尽くしてしまった。
 ルミーとアルディア、そしてメディス。彼らはそれぞれに、エステルの知らない過 去を持っている。
(わたしには……そこに踏み込む事など、出来ない……)
 過去に決着をつけられるのは、それに関わった者だけなのだ。自らの心の傷に苦し む者たちを見ながら、何一つしてあげられなかったエステルには、それが痛いほどに わかっている。
(……でも)
 傷ついたエステルを、優しく労わってくれたルミー。
 王女でありながら、旅に出ることを決意してくれたアルディア。
 戦いに巻き込んでしまったというのに、危機を救ってくれたメディス。
(みんなは、わたしのために、戦ってくれた……!)
 エステルは決然と顔を上げ、メディスが去って行った方向へと、一歩踏み出した。



『・・・・・・・・・・・・』
大勢の兵士のなかに、メディスはいた。
多くの人の足音を聞きながら、ずっと考えていた。
『・・・・・・なぁ、なんで俺たちはヴィルセンにいかなければならないんだ?』
『お前、聞いてなかったのか? ヴィルセンは大罪を犯したから排除しなければならないと、 そう説明されただろ?』
すぐ後ろの兵士二人がそう話しているのを聞いて、メディスはますます考え込んだ。
ヴィルセンの民が、あののどかな村の住人が大罪を犯すなど信じられない。仮に大罪を犯していた としても、どのような罪なのかはまったく説明されていなかった。
『それにしたってよぉ、この大人数であんなちっこい村をやりにいくのか? だいたい、排除なんて 大袈裟すぎると思わないか? なーんか納得できねぇよ』
その声に、メディスも内心同意した。
『それは・・・・・・そうかもしれないけど』
『・・・・・・お前等しらねぇの?』
そこへ、会話していた2人以外にもう1人加わってきた。
『大罪なんて言うのは体裁さぁ。ヴィルセンには今、フェイノリアのお姫さんがいるんだぜ?』
その言葉を聞いて、メディスは眼を見開いた。一瞬身体が強張ってしまったが、後ろの3人に 気付かれた様子はない。
『フェイノリアの・・・・・・? 大変じゃないか! もし間違って殺してしまったら・・・・・・』
『それが狙いだよ。王はフェイノリアが気に入らないのさ』
 メディスはその言葉に、頭の芯が熱くなっていくのを感じた。
(……そんな理由で? 一つの村を滅ぼし、一国の姫君を殺そうというのか?)
 メディスはぐっ、と拳を握り締めた。いつかの親友――いまはもう、この国を去ってしまった親友の言葉が、彼の脳裏に蘇る。

 僕たちの戦いは、本当に正しいのか?

 後ろの3人の会話は続いていた。
『まるで王は……この世界の支配者にでも、なりたいようだな』
『ああ、そうさ。そのために王は、神の力を持つ者を――女神様を呼び出したのだから』
(神の力? 女神・・・・・・?)
『女神? なんだそれは?』
メディスの疑問をそのまま問う言葉が聞こえる。
その疑問に、くっく、と明らかに楽しむような笑い声が答えた。
『そこまでバラしたら面白くねぇだろ? 楽しみにしてろよ』
『楽しみ、って・・・・・・』
呆れる声がして、後ろの会話は終わった。
静かになった周りが妙に恐ろしく、同時に耳に届く足音が異様にうるさくに思えた。
 出発の時は確実に近付いている。各部隊の隊長たちが現れて、部下に整列を命令し始めた。
『もうすぐ我らの女神様が、ありがたきお言葉をくださる! 皆、よく心に刻めよ!』
 そんな言葉に、おお、と勇ましい声が響いた。
 無論メディスは、そんな歓声を上げる気にはなれなかった。
(何が女神だ……女神がこのような戦いを、するはずがないだろう)
 この世に神がいるとするなら――それは、真に正しき者を救うべきなのだ。その優 しさゆえに国を追われた、彼の親友のような――。
 ギイィ……。
 扉が開く音に、兵士たちは一瞬にして静まり返った。
 ――それは、神々しい光を身に纏っていた。
 光に目が眩み、その姿までは見えなかったが、きっとこの世の者とは思えないほど ――美しかったに、違いない。
『勇敢なる我が国の兵士よ……』
 まるで荘厳な歌声のように、その声は響いた。
『そなたたちは今日、戦いに出向きます。それは、大いなる悪を滅し、この世の汚れ を清める戦い。私と、そして我らが王の、理想郷を築く戦い……』
 悪? 汚れ? それは――何だというのだ。
 瞳を焼くような目映さを堪え、メディスは女神を睨む。光に隠され、その表情は見 えない。しかし、メディスは何故か、彼女が自分に微笑みかけているような気がした。
『そなたたちに、私は祝福を与えましょう。そなたたちの汚れなき心を、強き力に変えるよう……』
 光が一層輝きを増した――その瞬間。
 メディスの心から、すべての疑問が消え去っていた。
 ――そうだ。
 汚れを清める事こそ、この世界を救う道。


『・・・・・・ヒメッ!!』
バァン!! と、一人の護衛がアルディアの部屋に勢いよく入ってきた。
なんだ、と問おうとして、その護衛の血相がかわっていることに気がついて腰を上げた。
『どうした? 何があった?』
『は! ミュートラスの兵が攻めてきたもようです!!』
『ミュートラスの? 何故?』
アルディアは荒くなる息を必死で抑えながらそう聞いた。
『どうやら姫を狙っているようです! 早くお逃げください!!』
『逃げる? ……そんなわけにはいかない!』
 アルディアは強い眼差しで、護衛を見据える。
『わたしに、この村の民を見捨てろと言うのか?』
『し……しかし! あなたはいずれ、一国の主となられるお方なのですよ!?』
『……だからだよ』
 アルディアは、静かに決意の言葉を述べた。
『わたしは、自らの国の民を置いて、逃げるような真似はしたくない』
 アルディアの瞳が、静かな光を放っている。大樹の優しさと強さを示す、エメラルドの色に。
『……姫』
 護衛はすっ、と膝をつき、アルディアを見上げるような姿勢になった。
『わたくしには、姫の命をお守りするという使命があります。姫も、ご自分の使命を 忘れるべきではありません』
 護衛は剣に手を添えた。それはまるで、騎士が誓いを立てるようでもあった。
『この村の民は、わたくしどもが守ります。ですから姫は……早く!』
『だが・・・・・・』
『大丈夫よ、アルディア姫』
言葉を濁らせるアルディアに、柔らかいトーンの声がかけられた。
護衛が開けたままにしていたドアの向こうに見知った女性が立っていた。
『エーレ・・・』
エーレと呼ばれた女性は、微笑んだままアルディアに歩み寄りその肩に手をおいた。
『貴方が民を守るように、民もあなたを守りたいの。大丈夫、この村の人たちは強いから。だから、今は逃げて。・・・ね?』
『・・・・・・・・・・・・わかった』
アルディアはそういわれて渋々と頷いた。

 アルディアは建物の裏口から外に出た。非常用に作ったこの扉を、まさか使う時が来るとは。
『さあ、急いで。森の奥まで逃げれば、まず見つからないわ』
 エーレは穏やかに微笑みながら、そっとアルディアの背を押した。
『……エーレ』
 アルディアは首だけを振り向かせ、エーレの瞳を見詰める。
『わたし、待っているよ……エーレが追い掛けてきてくれるのを』
 アルディアは信じていた。この争いは、すぐに収まるのだと――ヴィルセンも、 フェイノリアも、平和なままでいられるのだと。
『ええ。この戦いが終わったら、すぐにでも行くわ。
 ……だから今は、一刻も早く逃げてちょうだい』
 エーレの言葉に、アルディアは頷く。
 そして、アルディアは森に向かい、真っ直ぐに走り始めた。今度こそ、振り返る事はなかった。
 その後ろ姿を見送ったエーレは、腰の鞘から細身の剣を引き抜く。
『……さようなら、アルディア』
 そう呟いた瞬間に、あの穏やかな笑みは消えた。
 そこにいたのは、一人の気高き女戦士だった。
『ハァ、ハァ・・・・・・ッ・・・ハァ』
アルディアは森の中を駆け抜けて随分奥のほうまで来ていた。
もうヴィルセンが見えなくなって幾分たってから、ようやく少しだけ振り返った。
(エーレは、民は無事だろうか・・・・・・? もう静まっているのだろうか?)
アルディアは目を閉じて祈るように足を止めた。
『どうか・・・・・・どうかフェイノリアの民が傷つきませんように』
しばらくそうして瞑想したあと、アルディアはゆっくりと目を開けた。
エメラルドの瞳を強く光らせて、また先へ足を進めた。


 剣を引き抜く。振り上げる。そして――ためらうことなく、一気に振り下ろす。
 人を殺したという感覚はなかった。目の前にあるのは、敵という、ただそれだけの 存在。邪魔になるから取り払うまでだ。降りかかる熱い血飛沫は、それが生命であっ たことを主張するが、一瞬後にはその熱も消えてしまう。
 メディスは戦いの中で、今まで感じたことのない高揚感を味わっていた。それは酔 いの感覚にも似ていた。
 何かがおかしいという思いが、頭の片隅にぼんやりと浮かぶが、それは意識するよ りも早く、浮かされたような熱の中に溶けてしまった。
 それから、どれだけ同じ事を繰り返しただろう――彼の前に、一人の少女が立ちはだかった。
『……あなたをこの先に進ませるわけにはいきません』
 メディスの瞳は、その瞬間に初めて、人間という存在を認識した。
『こんなことはやめて、即刻立ち去りなさい。あなたがたは何をしているのかわかっているのですか』
冷静な声でそう言われ、メディスの正気が微かに起きる。
闇の色で染められた瞳に、僅かだが光が見えた。
(そうだ・・・・・・。俺は、何をやって・・・・・・)
『ぐ・・・・・・ぅっ!!』
メディスは頭を片手で頭を押さえ、もう片方の手は強く剣の柄を握った。
そんな敵の様子に、少女は怪訝に思いながら顔をしかめる。 
『俺は・・・・・・ッ!! こんな・・・・・・』
消えていきそうになる自我を必死に繋ぎ止めようと、メディスは頭を左右に振る。

――おかしい、俺は、こんなことを・・・。
 ――汚れはあってはならない。清めなければ。
――違う、これは清めるなんてことでは・・・・・・ない。
 ――清めよ。この世に汚れは必要ない。世界を救うのだ。

頭のなかに自分のものではない声がする。驚くほど低く、重厚に響く声。
その声を聞くたびに、メディスの思考はどんどん麻痺していく。
『・・・・・・いったい、何が起こっているの・・・?』
少女がそう呟いたとき、メディスが顔を上げた。
その瞳は、闇の色一色だった。
突然振り下ろされた剣を、少女は必死に受け止めた。しかし、彼の一撃一撃は、少 女の予想より遥かに疾く、重い。実力の差は、あまりに大きすぎた。剣が振るわれる 度に、少女の身体には、新たな傷が増えていった。
(どうして……!?)
 必死にメディスの攻撃に剣を合わせながら、少女は心の奥で考えていた。
(この人たちには、人間らしい感情がないとでもいうの……!?)
 人間の命を、なんの感慨も抱かずに、次々に奪っていく兵士たち。自らの思いを叫 び続ける村人たちを、彼らは闇を映したかのような虚ろな瞳で、まるで人形かなにか のように斬り捨てていった。
 彼らにとって、それは日常の事なのだとしても、その様子はあまりに異常で――そ う、まるで何かに取り憑かれているかのように。
『……どう、して……』
 不意に、メディスが呻いた。
『どうして、俺は……戦って……』
 少女は、はっとした。
 まさか……彼だけは、精神を縛る何者かから、逃れようとしているのではないか?
『そうです、戦う理由なんてないはずでしょう!?』
 少女は声の限り叫んだ。
『だから、どうか……目を覚まして……!』
ドサ、とメディスはその場に膝をついた。
剣を落として両手で頭を押さえる。
『うぅ・・・・・・』
『しっかりして下さい! あなた自身戦いたくなんてないのでしょう!!』
少女がメディスに必死で話し掛ける。
自分を取り戻そうとしているメディスを助けようと懸命に叫ぶ。
『・・・・・・俺は、俺は・・・・・・負けたく、ない』
『そうです! 負けてはダメです!! 自分をしっかり持っ・・・・・・!!!』
少女は後ろに気配がして振り返ったが―――遅かった。
体に痛みが走って、血しぶきが飛び目の前が真っ赤に染まる。
(・・・油断した・・・!! 兵は一人ではないのに・・・・・・!!)
『くっ……』
 少女は力なく地面に倒れた。溢れ出した血液が、身体の下に少しずつ広がっていく。
『ナニヲシテイル……』
 少女を斬った兵士の口から、言葉が漏れる。その声は、暗い洞窟を吹き抜ける風を 思わせた。
『忘レルナ……女神様ヘノ忠誠ヲ……』
『う……く……』
 メディスは頭を抱え、自分の内面に救う敵と戦っていた。
『ち……がう……。俺は……俺は……!』
 メディスが立ち上がる。その手に剣を携えて。
『俺は、悪しき心に立ち向かう!!』
 メディスは、少女を守る位置に立った。そして一瞬だけ、アメジスト色のその瞳 を、少女に向ける。
『君が、目覚めさせてくれたのか?』
 少女は、答えない。しかしメディスには、確かに彼女の想いが伝わっていた。
『……ありがとう』
 自らの血に、身体を染めながら。
 少女は微かに微笑んだ。


BACK      NEXT



('04/6/7)