Eternal Shine
Eternal Shine
「もう日が高いな。・・・・・・大丈夫か? アルディア」
メディスが振り返った先には、真っ白な顔をしてこめかみを押えているアルディアがいた。
アルディアはいつものような活気が瞳をメディスへ向けて頷いた。
「大丈夫だ。だんだん気分はよくなってる」
「だが、まだ頭痛は酷いようだな」
「当たり前ですよ。昨日はあんなだったんですから」
ルミーが水筒をだしながらいう。水をアルディアに渡し、受け取ったアルディアはそれを少しずつのんだ。
前日とは違い、アルディアの二日酔いのせいでペースはかなり落ちていた。出発してからずいぶんたつのに、まださほど進んでいない。
出発前に、今日一日ぐらい休もう、とエステル、ルミー、メディスで提案したのだが、当人が大丈夫だと主張したのでゆっくりではあるがミュートラスへと向かっていた。
「だけどあの子たち、今は何をしているのかしら……」
エステルは呟くと、不安げにミュートラスの方向を見詰めた。
「さあな、目立った動きはないようだが」
メディスは当たり障りのない答えを返す。
ヴィルセンでキスイと出会って以来、黒い瞳を持つ少女の襲撃は受けていない。アルディアの状態を考えればありがたいのだが、相手の動向がわからない事は、やはり不安材料である。
(それに……俺たちはまだ、答えを出していない)
キスイたちの側に付いてミュートラスと戦うのか、ミュートラスの民を守るためにキスイたちと戦うのか、それとも――
何が正しいのかわからない。
正しい答えなどないのかもしれない。
(それでも、進まなくてはならない、か……)
メディスは静かに、剣の柄を握り締めた。
何においても優先すべき事。
それは、仲間の命を守る事。
それを、確認した。
「とにかく、今はまっすぐミュートラスを目指そう。今やらなくてはいけないことは
一刻も早くミュートラスへ着くことだ」
自分にも言い聞かせるようにメディスは言った。その言葉に、みんなそれぞれタイ
ミングで頷いて顔を見合わせる。
「そうですね。相手の出方を考えていても仕方ありませんね」
次に相手がいつ、どこで、どんな風に襲撃してくるかはわからない。わからないも
のを考えているより、今は足を進め、襲撃に対処できるようにしておく方が先だ。
「なら、さっさと先に進もう」
「大丈夫、アルディア?」
「心配ない。もう楽になったから」
アルディアは心配そうに覗き込むルミーに笑顔を見せて、お礼を言いながら水筒を返した。たしかに顔色はよくなっていた。
「本当に大丈夫?」
「エステルまで・・・・・・。大丈夫だってば。ほら、行こう」
メディスを抜いていくようにアルディアは先へ進む。それを追って、3人も歩き出した。
やがて遠くの方から、巨大な門が姿を現した。その門の奥には、物々しい石造りの建物が立ち並んでいる。
「……あれが国境の街、クロイシスだ」
少しだけ沈んだ声で、メディスは言った。
「あの門をくぐれば……その先が、ミュートラスの地だ」
「通してもらえるのでしょうか?」
不安そうな声を上げるエステル。
彼女が心配をするのも当然だろう。こちらには敵国であるフェイノリアの王女がいる。元々はミュートラスの兵士だったメディスも、恐らく脱走兵として扱われているだろうから、入国するのに有利になるとは思えなかった。
「そうだな……。このような辺境の警備兵が、王女の顔を知っているとは思えんが」
「いざとなったら強行突破でいいんじゃないか?」
「……アルディア、もしかしてまだお酒が残ってる?」
アルディアの発言に、真面目な顔で心配するルミー。
「失礼な。有効な手段を言ったまでだ」
本気で反論するアルディア。
エステルとメディスは、こっそり顔を見合わせて嘆息する。
「こんなので本当に大丈夫なんでしょうか?」
「さあな……。まあ、騒ぎになる前に、俺がなんとか丸め込むつもりではいるが」
――しかし。
すべては、無用な議論だった。
初めに異変に気付いたのはメディス。
「……おかしい」
「え?」
足を止めたメディスを、2、3歩歩いてエステルが振り返った。
硬直するメディスを見て、ルミーとアルディアも黙り込む。
「おかしい、って……?」
「なぜ警備兵がいない?」
確かに、その門の周りは無人だった。
守られているはずの国境が、無人だったのだ。
「――まさか!」
走り出すメディス。3人も慌てて後を追う。
国境を通り抜けた瞬間、
そこに広がっていたのは惨劇だった。
数え切れないほど多くの魔物がクロイシスの街中で暴れている。
状況は明らかにクロイシス側が不利であった。応戦する兵士たちはかなり苦戦している様子だ。
4人の目の前に広がる光景には、酷く見覚えがあった。
――そう、ランテムだ。
ランテムはもうすべてが終わった後だったが、クロイシスもそうなるのは時間の問題だろう。
「どうしてこんなところに魔物が!?」
「そんなことを考えるのは後回しだ! 援護するぞ!!」
メディスが剣を抜いて真っ先に魔物の群の中へ入っていく。
3人もそれぞれ頷いて、己の武器を手にメディスの後に続いた。
「お、お前たち、一体何者だ……」
魔物の相手をしながらも、兵士の一人が訊ねてくる。
メディスは油断なく構えながら、それに答えた。
「ただの旅人だ。今からそちらに加勢する、国境を越えさせてくれないか」
「な、なにを勝手な……うわあぁっ!!」
兵士は悲鳴を上げ、尻餅をつく。巨大な鷲の姿をした魔物が、兵士の上空から襲い掛かってきたのだ。
「危ない……金剛石の盾よ!!」
エステルが叫ぶと同時に、兵士の前に輝く盾が現れ、鷲の鋭い嘴を弾く。
「こ、これは一体……」
「そこから動くなよ……はぁっ!」
「ひえっ!?」
兵士のすぐ傍を掠めて風の矢が飛び、鷲の翼を貫いた。
バランスを崩して落下する鷲を満足そうに眺めながら、アルディアは次なる者に呼び掛ける。
「ルミー! 頼む!」
「わかってる!」
炎に包まれた拳を見詰める兵士は、もはや絶句していた。
「行くぞ……とどめだ!!」
ルミーの拳に吹っ飛ばされた鷲は、空中で炎に包まれた。次に地面に着いた時には、既に鷲は絶命していた。
「す、すげぇ!!」
「なんだあれは……魔法なのか!?」
近くにいた兵士たちがざわめく。
「まあ、ざっとこんなものだ……大丈夫か?」
言いながら、メディスは相変わらず呆けたままの兵士を助け起こした。
「……お前ら本当に人間か? あいつらの仲間じゃないだろうな?」
怯える兵士に、メディスは片目を細めて笑ってみせた。
「心配するな。お前たちが大人しく街に入れてくれさえすれば、危害を加えるつもりはないさ」
その言葉を聞いて、兵士たちがお互いに顔を見合わせる。
規則としては簡単に通すわけにはいかない。しかしダメだといって聞くようには思えない、
そうなると取り押さえなくてはいけないが、先ほどの戦いを見ていると自分が束になっても敵
わないとも思う。
「しかし・・・・・・」
兵士の1人が渋ったような声を上げる。真面目そうな印象を受けるから、任務に忠実なのだろう。
「でも、彼らは恩人だ。通してもらうのを狙って助けてくれたとしても、助けてくれたのは事実だ」
「だが規則だ。身元を確認して、それから決めるべきだろう」
「あーあーあー」
言い合う兵士の間に、高い声が割り込む。
「面倒だ。今から二択、貴様らに選んでもらう」
「ア、アルディア、ちょっと・・・・・・」
ルミーの静止と困っている兵士たちを無視して、アルディアは1人で話を進めていく。
「1、我々をさっさと通す。2、規則だからと我々を通さず、全員再起不能になるか。さあ、どっちだ?」
「選択というか脅しだな」
メディスはこめかみを押えながらわざとらしく肩をすくめてみせる。
それをみたアルディアは面白くなさそうにメディスを見た。
「メディスだって似たようなことを言っていただろう?」
「そこまであからさまじゃなかったさ」
「たいして変わらないと思うけどね」
アルディアは唇を尖らせ、メディスは肩を震わせながら笑いを堪え、兵士達からの返答をまった。
「……わかった。ならばこうしよう」
兵士の中でも、リーダー格の男が近寄ってきた。
「我々はここの門を通す。この街の施設の使用も許可しよう。……ただし、その後のことは保証しない。上からお前たちを追放するよう命令されたら、それに従わせてもらう。その条件でどうだ?」
アルディアは仲間たちの顔を見渡し、皆が頷くのを確認して兵士に向き直った。
「いいだろう。ならば早速、残党を始末させてもらう」
4人はメディスを先頭に、街の奥へと向かう。
「やっぱり……すでに犠牲は出ているのね」
地面に倒れた罪もない人々を見ながら、エステルは悲しげに声を漏らす。
「これは戦争じゃない、憎しみを晴らすための戦いだからね……。あいつらの目的は勝つことじゃない、殺すことなんだよ」
かつては自らも、憎しみに飲まれ、同じことをしてしまった。
だから――それが戦う理由なのだと、アルディアは己に言い聞かせる。
その時。
バサッ、という羽音と共に、4人の頭上を影が覆う。
何千とも、何万ともつかない数の、亜種たちを従えて。
少女は静かに笑みを浮かべる。
「遅かったのね……。カーニバルはもう、始まっているわよ」
「あなたは・・・・・・!」
エステルの驚きを受けて、少女――サフィアはさらに口角を上げた。瞳に強い憎しみを宿した口元だけの笑みは、かえって妖艶である。
「お久しぶり。あなたたちってば、いつもいつも遅れて到着するのね。待ちくたびれちゃうでしょう?」
サフィアはそばにいた亜種を撫でながら、4人を見渡してそういった。とても楽しそうに、でも、酷くつまらなそうなそうにも見える。
感情がわかりにくい表情をしたまま、サフィアは続きを語りだした。
「あんまり遅いから、カーニバルが終わってしまうかと思ったわ。主賓のあなたたちがいないまま、ね。」
「さっきからカーニバルって! キミにとって虐殺は祭りと同じ事なの!?」
ルミーが叫ぶ。
それを耳にしたサフィアは、突然冷め切ってしまったような冷たい顔になった。
「そんなの、わざわざ聞かなくてもわかっているでしょう? そして・・・・・・それは、この国にもいえること」
ギュ、とサフィアはこぶしを握る。
「愚かな人たち。この国は滅びて然るべきなのに。何も知らないで目の前の悲劇だけ救おうとする。――なんて酷い!」
「酷い、って……」
反論しかけて、エステルは唇を噛んで俯く。彼女に自らの正しさを主張出来るほどの言葉を、エステルは持ち合わせていなかった。
「人間たちは、いつもそう。自分たちが正義だと信じて――」
サフィアの瞳から、涙が一筋流れ落ちる。
「あたしたちに殺される直前――この街の人間は、なんて言ったと思う? 『亜種の殺戮なんて知らない、俺たちは悪くない』って、そう言ったのよ!?」
「その通りだ。この街の人たち……いや、この国の大部分の人間に罪はない! お前のやっていることだって、無意味な殺戮にすぎないんだ!!」
メディスは上空に向けて叫んだ。
「どうして……どうしてそんな事が言えるの? あたしたちの苦しみも知らないくせに……あたしたちの痛みを、癒そうともしないくせにっ!!」
ばっ、サフィアは右手を振り下ろす。
「あたしたちの邪魔は、絶対にさせない!!」
亜種たちの群れが、ひとつの塊となって蠢いた。
「みんな、気をつけろ!!」
亜種の動きに警戒してそれぞれの武器を構える。
「ダメ! まって!!」
「エステル!?」
エステルは3人の前に、亜種との間に立って両手を広げた。
「あなたたちはどうしてこんなことができるの? 同じ事をして、同じ目にあわせて、復讐して・・・・・・それで満足なの!?」
エステルはなんとか説得しようと懸命に叫ぶように話し掛けた。
しかし、サフィアはそれが気に入らなかったらしく、気分を害したという顔で返してくる。
「奇麗事は止めて。人間に復讐することが、あたし全てなのよ!」
「そんなことをしたら、あなたたちはまた人間に恨まれるわ」
「人間はあたしたちが何もしなくても恨んできた!! 今までだって・・・・・・これからだってきっとそう!!」
「――よくわかってるじゃないですか」
氷点下の声が響いた。
ここにいるはずの誰とも違う声。
彼は、今まで何も存在しなかったはずの空間に立っていた。
「そう、その通りですよ。亜種なんて汚れた存在は、ミュートラス王と女神の支配す
るこの地にいてはならないのです」
それは、銀色の短い髪の少年だった。彼は鼻の上の、円い水晶が二つ繋げられた見
慣れない器具を押し上げる。その奥の瞳は、水晶板を通してすら、なお凍てつくよう
な視線を放っている。
「亜種はこの世界に必要ない。だから疎まれ、憎まれる。わかりましたか?」
「な……っ」
少年の身勝手な論理に、サフィアの顔が蒼褪める。
これが、これこそが人間の本性なのか。
憎悪と殺気が膨れ上がり、そして爆発する。
「そう、わかった、よくわかったわ。やはり人間は、滅ぼすべき存在だとね!」
「や、やめて!!」
予想外の事態だった。謎の少年の言葉によって、サフィアの憎しみは肯定されてしまったのだ。
これでは、止まらない。無意味な復讐と惨劇が。
「あなた、なぜ――」
少年に詰め寄ろうとしたエステルだが、その場に満ちる異常なまでの殺気に、立ち竦んでしまった。
(どうして、どうしてこんな事に……?)
あの少年は、なぜこの場に現れたのか。
そして、なぜあのような言葉を吐いたのか。
なぜ――この、圧倒的な数の亜種たちの前で。
「まずはそこのあなたよ……。後悔しなさい、あたしたちを敵に回した事を!!」
サフィアはその手を振り上げ、振り下ろす。
空気を切り裂く音と共に、殺到する異形の魔物たち。
「い、いやあぁっ!!」
一瞬後には目前で繰り広げられるであろう惨劇に、エステルが悲鳴を上げ、他の者は呆然と立ち尽くす。
しかし――その予想は裏切られた。
急激に大気温が下がったかと思うと、次の瞬間、凄まじいまでの静寂が訪れた。
すべてが、凍り付いている。
比喩ではなく。
少年に襲い掛かった亜種たちは、一匹残らず氷の彫像と化し、一切の生命活動を停止していたのだ。
「う……嘘……」
一人生き残ったサフィアは、並んだ彫像のその中心で、瞳を見開き硬直していた。
辺りに生き物の動く気配はない。無傷のはずのエステルたちですら、動くことが出来なかった。
「――さて」
少年は、亜種の群れに翳していた手を下ろし、エステルたちの方へ向き直る。敵であるはずのサフィアには目もくれなかった。
「邪魔者もいなくなった事ですし、本題へと移りましょうか」
少年は静かにエステルへと歩み寄る。
エステルは思わず後退りした。他の者たちは、それぞれの武器を構え、少年に対する敵対心を露わにする。しかし少年の視界には、彼らが含まれていなかった。その瞳は、ただ、エステルだけを見据えている。
少年はエステルの一歩手前で立ち止まり、忠誠を誓う騎士のようにひざまずき、そして静かに告げた。
「お迎えにあがりました、女神様」
エステルはその言葉に驚いて、また一歩後退した。
「め、がみ・・・・・・? 迎えって・・・・・・あなた、いったい・・・」
「わたくしと来てくださればすべてお分かりになります。さあ」
少年はひざまずいたまま、エステルへ手を差し出した。先ほどあれだけの数の亜種を
全て氷付けにした、その手を。
少年の手を見て、エステルが思わずよろける。彼の手が、恐ろしいほど冷たく見えて、
ただ純粋に怖かった。
よろけたエステルの背中に、暖かいものが触れた。
「ル、ミー・・・・・・」
エステルの背中に触れたルミーの手が肩に移動し、しっかりと彼女を支えた。
ルミーは緋色の目をまっすぐ少年に向け、睨みつけるようにしていった。
「キミは何者? 答えないのなら、エステルは絶対に渡さない!!」
少年はルミーの方を向いて、軽く鼻で笑う。
「僕が何者か、だって? 答えた所で、君には理解出来ない――女神様を、『エステル』などという名前で呼ぶ君にはね」
「馬鹿な事を言わないで……。わたしの名前はエステルよ!」
その言葉に、少年は初めて驚きの表情を見せた。しかし一瞬後、一人で納得したかのように頷く。
「なるほど……。よくわかりました、女神様の身に何が起こったのか」
少年は突然立ち上がると、エステルの手首を有無を言わさず掴んだ。
「何を――」
「お遊びの時間は終わりです。僕は貴女を、あるべき所へ連れて行く」
「いや……いやよ! 放して!!」
エステルはその手を振り解こうとした。しかし少年の力は、外見よりもずっと強く、少女に抗えるようなものではなかった。
「やめろ!!」
ルミーがエステルの腕を掴み、強引に少年の手から引き抜く。
「エステルはぼくたちの仲間だ! 勝手な事はさせない!!」
その言葉に、少年は「やれやれ」と首を振った。
「勝手な事? 勝手な事をしているのは君たちでしょう。僕は女神様を、取り戻しに来たんですよ?」
水晶板の奥で、少年の瞳が煌く。
「僕の名はリスター。女神に仕えし者――そして、真に女神の寵愛を受けし者」
そして冷気が、少年の両手に集う。
「――! 逃げろ、ルミーくん!!」
「遅いですよ」
言葉とともに、リスターは腕を振るった。冷たい空気が舞い上がって辺り一帯を支配
する。
冷たい――ルミーがそう感じた瞬間、全身が動かないことに気が付いた。息苦しくて、
不審に思って体を動かそうとしても微塵も動かない。ゆっくりとした思考の中で、ルミー
は自分が氷付けになっていることに客観的な感想を抱いていた。
「ルミー! なんてことを!!」
エステルはリスターを睨みつけようとして、アルディアとメディスの状態に目がいった
。二人ともルミーほどではないが、凍り付いていた。胸の下あたりまで氷で覆われて身動
きがとれない。
「これで、邪魔者はいなくなりましたね」
リスターの嘲笑うかのような口調が、冷えた空気に響いてきた。
「どうするんです? 早く決断なさらないと、彼らは凍え死んでしまいますよ?」
「……なぜ」
エステルは俯き、震える声で呟いた。
「なぜこんな事が出来るんですか! ルミーたちは関係ないのに……どうして、こんな!!」
「――僕がそれほどまでに、あなたを欲しているからですよ」
リスターは、エステルを真っ直ぐ見詰めて言った。
その様子は、先ほどまでとは違う――まるで、母親を見失った迷い子のように。
「安心してください。僕はあなたに危害を加えない。あなたさえ手に入れば、彼らも無傷で解放すると約束しましょう」
彼の言葉に嘘がない事を、エステルは感じる。
そう、全ては自分次第なのだ。自分さえ――
「……ダメだよ、エステルっ!!」
その声にエステルはハッと振り向く。
胸元まで凍り付いたアルディアが、痛みに顔をしかめながら、それでも必死に叫んでいる。
「ルミーは自分だけが助かる事なんて望んでない。ルミーは……あなたの傍にいるために、命を懸けてきたんだから!!」
「アルディア……でも!!」
もう、戦う術はないのだ。エステルがリスターを拒絶したとしても、彼は次の一撃で、間違いなく3人の命を奪うだろう。
「わたしは……みんなを……」
エステルは無意識のうちに氷付けになったルミーを見た。
分厚い氷のなかで動かなくなった彼。まるで彫刻か人形のようにピクリとも動かない。生気も感じられなくて、まるでもう――そんな不安が波のように押し寄せてくる。
アルディアやメディスだってルミーのようになるのは時間の問題だろう。
「――わたしが一緒にいけば、本当にみんなを解放してくれるんですね?」
「エステ・・・」
「ごめんなさいアルディア! でも、わたしはみんなに死んで欲しくないの!!」
ふ、と涙が溢れてくる。
よくわからないが、このリスターという少年は自分を欲しているのだ。ならば犠牲は自分ひとりでいい。そうすればみんな助かる。
「女神様。決心がおつきになられたのでしたら、気が変わらないうちに行きましょう」
エステルが頷き、リスターの手を取ろうとした――その時。
「……勝手な事をしてもらっては困るわね」
冷気よりもなお冷え切った、絶対零度の声が響いた。
エステルとリスターが、同時に振り向く。
「あ……ああ……。来てくださったのですね……」
サフィアはその瞳に涙すら浮かべて、その人物を振り仰ぐ。
漆黒の瞳の双剣士を。
「あなた……何しに来たの!?」
強気な言葉を発しながらも、エステルは怯えを隠しきれていない。
リスターだけでも絶望的な状況だったのに、その上彼、いや彼女までが――。
エステルの心情を見透かすかのように、剣士は唇の端を歪めて、薄く笑った。
「無様ね。……いいえ、お似合いの姿と言うべきかしら?」
「くっ……」
エステルは剣士を睨んだが、しかし言い返す言葉はない。剣士はもう一度嘲笑を浮かべると、その場にいるいま一人の人物――リスターへと向き直った。
「あなた、悪いんだけど……あの子はまだ、私のものなの。今日の所は、大人しく帰ってもらえないかしらね?」
「な……何を勝手な」
リスターは敵意をむき出しにする。
「僕の邪魔をしたどころか、女神様まで侮辱して、ただで済むと――」
振り上げられたその手は、しかし力を放つ事なく硬直する。
双剣士の放つ、闇色の瞳の魔力の前に。
「う……。お、お前は……まさか……」
瞳を見開くリスターに、剣士はやはり微笑を返す。
「驚く事じゃないでしょう? 女神が生きているのなら、私が存在するのも当然……」
す、と剣士は、リスターに一歩歩み寄る。
「復讐の宴は、まだ始まったばかりなの。……ミュートラス王に伝えてちょうだい。あなたの愛するこの国を、滅ぼされたくないのなら、さっさと兵士を集めるようにね」
「…………っ」
リスターは、声にならない悲鳴を上げた。女神の寵愛を受けたはずの彼ですら、剣士の中に潜む存在は、畏怖の対象であった。
「……スクエラ! 城への門を開け!」
リスターの叫びに応えるように、彼の背後の空間が切り取られ、まったく別の風景が姿を現す。
「僕は諦めませんよ……。女神様は、僕のものだ……」
そしてリスターは、別の空間へと姿を消した。
静寂の残された戦場で、双剣士は誰にも聞こえぬ声で呟く。
「……まだよ。もっと……もっともっともっと、もっともっと傷付けて、完全に心を砕かなきゃ……」
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('05/4/9)